疑いながらも信じてしまうお母さんたち

仕事終わりにお茶をする仲間が何人かできてきて、そのうちの1人に私よりも7歳ほど若い、1歳半の子持ちのお母さんが居るんですれども、一緒にお茶を飲めば飲むほど自身の子への対し方がきつく見えてこれは虐待なの?か?と正直心配しています。というのを同い年のその場に居た奥さんにこっそり打ち明けてみたところ、その人も心配していたそう。

例えば子供がジュースの入ったコップにささったストローで遊んでいて、ぴんっ!とはねたジュースの水滴が私の洋服についたんだけれども、そのとたんにそんなに怒らんでも、とこちらが思うようなものすごい剣幕で怒り出したりとか、子供が何度もお家帰りたい言うてるのに、帰りたいなら1人でお帰りというようなことをぴしゃっ!と言うとか、どう聞いても子供の言葉ははっきりしているのに何言ってるのか解らないと取り合わなかったりとか、こう書いて読み返し、状況を思い出しながら昨今子育て問題の一つとされているあの虐待てヤツなんではないかしら、いやないかしらどころかソレだよな・・と思いながらもどこかで実は家に帰ったらいいお母さんでやってるんじゃないかしら・・と信じてしまっていたりします。だってあのスタン・ハンセンだって子煩悩だったもの・・。

そもそもそのお母さんの年齢がギャルの域ですし普段から言葉も丁寧なほうではないので、それが状況によってよりきつい口調にとれるのかもしれないし、こちらとしては『凄い剣幕で怒るorぴしゃっ!というor何言ってるのか解んねと突っぱねる⇒子供しょんぼり⇒そんな言わんでもあんた』というのがネタとして通って”普通”であるなら、7歳も違うとその年代のそこらへんのノリが解らないのもあってそういうもんなのかと思うしかなく注意するのも気が引けてしまうのです。じゃあ同い年だったら迷わずそれは虐待ですよおやめなさいよ、と指摘したかというと、やーどうなんだろ!これどうなんだろ!?とモヤモヤしながら何もしてなかったでしょう。言ったところでじゃあアナタ育ててください、となってもそうすることはできないし、たとえそうしてもその子供は助かったとは言えないと思うし、やっぱり私は本当に子供を助けてあげられるのは、どんな親でもその子供の親でしかないのだと思っていて、親子の問題は親子で解決するしかないと、その親子の絆を信じてしまうのです。そのために周りが手を貸すのは必要だと思うけれど、そして周囲がこうしてあれってどうなんだろ、もしかして、だのとモタモタしているうちに事態が悪化してよくない結果を招いた事例も過去にたくさんあったのを聞いたり読んだりしているにも関わらず、それでも行動に起こすのはなかなか難しいことです。