『どっちが大事なの』と選択させる人たち

最近仕事を始めたママ友さんが、無職時につるんでいた他のママ友さんに『仕事とわたしどっちが大事なの?』という風な選択を迫られているらしくて、これってどうよ?と相手が聞いてきたものですから『出たかー。どっちが大事発言。』と、あらまあな顔をして相槌をうっていました。それでお互いその人については遊び相手が居なくなって寂しいのは解るけど、こちらとしては選びようがないですよねーっつかなんだそれだよねー、というような回答でカフェオレ飲み飲みため息をつくばかり。仲良くしたいのはヤマヤマですがそれどころじゃないのよ、というのはお付き合いしている男女でも同性のお友達同士でも同じだと思うのですが、この『どっちが大事なの』というのは聞いちゃったが最後、相手はどちらに決めるか考えるどころか余計に離れるだけだという事になして未だに気づいてない人がいるんでしょうか。ならば逆に相手が自分を選んで一方の選択肢を捨てる、というその自信がどこから湧いて出て来てるのかお聞きしたいところです。


その人のように私がママ友さんに迫られてる選択(?)は『私が友達の家に遊びに来ていてりまちゃんも来なさいと誘っているのにあの人て”いつも”来ないのよね』というやつで『どうも自分の誘いを受け入れて欲しいみたいよ?』と伝え聞くのですけど、しかし本人に面と向かって言われたわけではないので大人のたしなみで直接答えはしませんが『あなたがお邪魔してるお宅の人に誘われれば伺いますけど、なして客のあなたが誘ってさらに私がお邪魔できますか』と言いたい。一度は伺いましたが、そのあと何度もそんな風にお邪魔できるほどあつかましくなれません。私だったらうちはおまえさんらの喫茶店じゃねえのですけれどもって思っちゃうから。これっておかしいかなあ。


そのほかにもミクシの足跡をつけないと怒る、日記にコメント残さないと怒る、ともうミクシ向いてないんじゃ無いですかと思う人もいたりするんですけど、友達付き合いの中でも『ママ友さん付き合い』の特殊なところはこうした内緒ばなしが結局筒抜けで腹の探り合いの情報合戦が壮絶なところです。そのうち世のママさんはみんな軍内の秘密組織の特殊諜報部員となり忙しくなって旦那さんにも友達にも『どっちが大事なの』とか聞かなくなると予想しています。そしてその頃の私は、池の鯉にエサをやりながら駒どもの動きを楽しむ津川雅彦さんみたいになってればいいなと思います。