目の前で同じことが起こるまで、きっと。

昼間に近くのポストまでちょっと葉書を出しに行きましたら歩道が子供と大人で賑わっているので、ああ、と思いました。最近続いている子供が巻き込まれる事件に関連してここらの学校も父母が付き添って帰る、という対策をとっているようです。ぴりぴりしながらちゃんと一列になりなさい、と先導するお母さんの後ろで言う事を聞かずにふざけながら帰る姿を見ながら、きっとまだまだ自分を含めて目の前で起こらない事には『想像のはるか斜めをいくようなおかしな事に巻き込まれる』って状況を他人事にしか捉えられないのだなあと感じました。でなかったら数人の子供の列に、前と後ろにお母さんが1人づつしか付かないなんて事にならないハズです。その程度じゃ大人も子供も、きっと今のご時世の犯人なら簡単にやられちゃいますもの。


私達の子供の頃もそれなりに酷い事件は多々ありましたし、思い返して自分もそれなりに追いかけられたり、よくもまあ何も不思議がらずに飲み屋で意気投合した男の車に乗ったなあとか、友達の友達はドライブ途中で山に捨てられたって言ってたけど自分は誰が相手でもそういう目に合わなかったなあとか、今となればなんて危険なことと隣り合わせで居たんだろうとその時の幸運に感謝していますけれども、しかしそれにしても当時の私はどうやって危険をかいくぐって生きてたんだっけなあ?という感じでその術をうまく言葉にできないのです。この世に居られないくらい深すぎる傷を負ってしまったあの子とこの歳まで無傷な私との違いは、どこで何がキッカケだったんだろう。わからない。そして今回の事件についてご両親も本当に辛いだろうなと想像はするのですが、同じ親として正直に、ウチの娘にも遺伝子レベルでそうした私の幸運が受け継がれていればいいなと正直に思いました。こんな時にと非難されるかもしれないけれど、腹の底からそれが本当の気持ちなのです。それにしてもどうしてこういう危険はいつまで経ってもヤツラより先に手が打てないのかなあ。こういう犯人から身を守るには、幸運をただ祈るしかないのかしら。そんなことでしか。