それは些細なことなのだけれど

最近旦那さんとの会話で納得いかないのが『コーヒー入れてくれよ』という些細な頼みごとでして、コレを言われるたびに自分で入れたらどうかしらと思ってしまうんです。なぜなら旦那さんは自分で入れられる状態だから。そうでなければこちらも頼まれてコーヒーを入れるんですけど、そうでないとなんとなくモヤモヤしてしまいます。


普段育児と家事をしていてる私が自分で飲みたいなと思ったら自分で入れるので、外ではしっかり仕事ができている旦那さんにどうしてできないのか問うても『いいじゃねえかコーヒーぐらい入れてくれたって』と言われるのですが、こちらとしてはそのコーヒーぐらい入れられねえのかと思うわけです。それを人に言ったところで『旦那さん甘えてるんだようー』なんつう他所のそんな話聞いてカドを立てずにはそれしか言いようがない風に当たり前の感想しか返ってこないので、いつも心のどこかでこの人もし私が居なくなったらどうするのかしら、と思っていたりします。仕事に自分の代わりがいるように嫁にも代わりはいるんでしょうけども。そんなことないなんて私にはきっぱり言えません。


なのですが、これが2人で生活してる時はさほど思ってなくって娘が出来てから旦那さんに『自分の事は自分でやって』というのを以前より求めるようになったなあと思います。旦那さんとしたらその奥さんの変化について行けなくて様々な面で『〜ぐらいしてくれたっていいじゃねえか』って言葉がでるのかなあとも感じていますが、今現在のこのことは子供を含めた生活が2年目の話なので、これから先自分も、また相手の意識も変わってくるかもしれません。結婚して子供ができて夫婦がお互いの役割をもって生活するというのは、コーヒーを入れる入れないだけの話でここまで考えてしまうものなのだなあ、というのも結婚してからでないと湧き上がらない考えだったりするのです。


そしてさらに話の範囲を広げますと、結婚した以上別れる気はありませんが最悪そうなってしまった時に困らない自分でいたいなあと考えてたりします。いまんとこ困るのは死んだ虫の始末くらいで、他の事は器用貧乏でなんとかできますし、私は有難い事にこうしたネタとして消化できる場があるので正直書いてるうちに困ってる気持ちがあっても和らぐんですが、そうで無い人でどうにも心の中の美輪明宏さんが『黙れ!小僧!』と叫びながらヨイトマケの唄とか歌い続けるようだったら、ちょっと勇気を出して旦那さんと話し合った方がいいと思います。話の解らない相手でもとりあえず話してみる事です。