娘に自分を重ねてちょっと考えちゃったよ。

ちょっとでも機嫌がよくなければ泣き、出すもの出しても一人でおむつも替えられません。お腹がすいてもひとりでごはんが食べられません。ご飯の量や好みの固さがあって、少しでもそれと違うとその場で吐き出しました。自分で始末する事ができません。歯磨きをしなければ虫歯になってしまいます。自分で歯磨きができません。袖と首を通すだけの服も自分で着れませんでした。


夜中だって朝方だって構いません、四六時中誰かに構ってもらわないとイヤでした。自分の思うことを言葉にするのもできませんでした。お出かけするのにはお金が必要ですが、自分で用意できませんでした。それを一つずつ手助けしたり、教えてくれたのが親や周りの大人達です。そうして尽くしてくれたその人たちに、機嫌がよければ愛想をふりまき、悪ければどんなに良くしてもらってもぎゃあぎゃあと泣きつづけました。それでもみんなはとことん付き合ってくれました。
おやこ

そうして大人たちに知恵をつけてもらって『立派になったね』と言われる頃には、それまでにどれだけ世話をかけたか忘れていて、というより全く記憶に無くって、今ある知恵のほとんどは自分自身で得たものだと慢心して、時に大人を見下すような態度をとったりしました。悪い事は全部周囲のせいにしていたこともありました。自分にも悪いところがあると認めていても、それは周囲の自分に対する仕打ちとは比べものにならないと思っていました。都合が悪くなると後出しじゃんけんもしたりしました。結局は大人がなんとかしてくれて、なんでも思い通りになると思っていました。いろんな経験をして乗り越えたのを、大人に頼らずに一人で考えて行動して生きてきたつもりでいました。


しかしいま実際に子供を育ててみて、それら全ては親や周りが赦してくれたり折れてくれたりしていたのだなあ、と今まで世話になってきた大人達に謝りたい気持ちでいっぱいです。今の今まで自分は一度たりとも愛されたことなど無かったと思っている人もいるでしょう。あなたに何らかの理由があってそういう思い出は無かったりするかもしれないけど、私が親をやってみて思うことは、子供の世話は愛情が無いととてもじゃないけどできないから、ほんの少しでも愛されてたんだと思います。全然無かったってことはないです。あとはその量で満足するか、しないで拗ねて生きていくかだと思います。


なので今あなたがこの文章を読めてるということは、誰かしら周りの大人に愛されてきた証拠だと思う。でなかったらそこまで大きく育てるなんて誰もできないです。今ここを読める環境にいないはずです。一人で生きてきたなんて甘えっこの考えです。誰かがこっそり甘えさせてくれてたんです。『そんなこと無い。だって今までうんぬん』とアナタが思えるくらいに。だから、すごい雑な話なのはよく解ってるんですけど、なんか最近拗ねてる人が多いから、これ読んで今までよりちょっとは安心してくれたらいいな、といっちょまえに思いました。