わかりやすいはむずかしい

スティーブジョブスさんのスピーチ訳文を遅ればせながら読みまして*1、それが非常にシンプルで解りやすい言葉だったものですから長文でもサクサク読めてしまいました。もちろん語る内容が魅力的だったのも読みたい気持ちにさせられた理由として十分なのですけど、それでも、もしこのお話が難しい言葉で書かれていたら、じっくり読まずにナナメ読みしてしまって『読みながら考える』ことができませんでした。


知識を多く蓄えてしまった人ほど難しく話す事は簡単で、解りやすく話す事は難しいのではないかと思います。周りを見てみますと難しく話す人って中途半端に知識や経験が豊富な人、または自分をそう思ってる人に多いようです。そういった方のお話は要点を得ずに回りくどくて聞いてるうちに『なんの話だったっけ?』と次第に頭に入ってこなくなります。偉い、すごいとされる人が難しい言葉で話せば聞いてるこちらも『今スゲー事聞いてる』『なんか3割増しで頭良くなった気がするよ』とか感じはすれど、席を3歩経ったら頭に残らずにほとんど忘れてしまうのです*2。『結局こう言いたかったんだよね?』『いやこうだと思う』と会話のタネになれど、きちんと理解できてないまま話し合うので実のある話し合いにはなりません。また、こういう人ほどきつい印象を与えつつ相手に意見交換を望んでこられるので、なら解りやすい言葉で話してくれればいいのに損してるよなあと思います。


知識を多く蓄えてても簡単に話す人はその逆です。極端にいってしまえば経験に基づいて無駄が省かれたイエスかノーしかないので、要点をついて話してくれるから『あーそうなのかー』とすっきりできる。そしてそういう人とは難しい言葉が使いづらい人でも意見交換がしやすいので、いろんな意見が得られると思いますし、その意見のどれもがやわらかいので頭に入ってきて考えやすい。しかし普段の会話でさえ相手に誤解される事があるというのに、解りやすい言葉で自分の思うことを表立って話すのがどんなに難しいことか。


私も以前は『ズンドコベロンチョ』の草刈正雄*3よろしくヘタに言葉の知識があったので話し合いしだすと理屈っぽくなってしまい、相手にとったら難しい、ワケわかんない、お腹すいたと受け取られていましたが、これではきちんと相手に伝わらないと気づいてからは、背伸びしないで解りやすい言葉で話すように気をつけています。なんですけど、これも聞く人や状況にとっては馬鹿にしてるとか見下してるとか取られたりするし、まだまだ解らないと受け取られてしまうのでほんと難しい。難しい難しいと思いつつ、この程度しか書けないなんてやんなっちゃう。でももったいないから出しちゃいますよと。

*1:原文を読んでいないので、もしかすると訳者さんが頑張ってくれたのかもしれないんですが

*2:最大の原因は私が馬鹿なことなのですが

*3:知識豊富で傲慢な主人公が、得体の知れない『ズンドコベロンチョ』なる謎の存在に翻弄されるお話