集まるだけでなにか楽しかった日々

昨日はTVでウォーターボーイズがやってました。私はあのお話の中でバスの後部座席で皆が大騒ぎしてるシーンが大好きで、初めから放送を見てたわけじゃなかったから、たまたまチャンネル合わせたときにその場面を逃す事が無くてよかったです。


最近は自分が結婚して地元を離れてしまったり、友達が遠くへ何かを求めて旅立ってしまったりで、なかなかみんなと連絡とれてないなあ、とぼんやりしながら昔のなんでも楽しかった日々を思い出しました。映画みたいに結果を出すような事はしてないけど。


ファミレスにとりあえず2人で集合して、そこから電話でほかの友達を呼べるだけ呼んで最後にはお店中貸しきりのようにしてしまったり、とにかく日がな一日巨大すべり台を変なテンションですべり続けたり、誰かがいきなり家に来てどうしようも無い話をしゃべり倒して帰って行ったり、飲み屋でバイトしてた女の子が変なお客さんに付きまとわれてると困ってたら、店からの帰りにそいつに見つからないようその子を逃がす作戦を練って実行したり、いきなり夜中に連絡が来て今から寝ないで始発で行き先決めずにどこか行こうと誘われて行ったり、誰かが失恋したと聞けばみんなで焼肉しに行ったり、みんなで毎日なにかしら集まってて楽しかったなあ。


とにかく若かったからなんでもできたし、だから面白かったんだけど、どうしても大人になるほど意味なんか無いものにまで意味を求めたがる人が多くなって、つまらない事がだんだん増えていきます。『それだけでよかった』って事は、いろんな場面で成長するにつれ少なくなってしまうからせつない。


1歳の娘は、携帯電話の充電コード1本でひっぱったり、たぐり寄せたり、放り投げたりだけで何時間も遊んでいて、それを見て親の私たちは『なにが面白いんだろうね?』と笑いながら見ていたけど、娘にはその遊びにきっと意味なんて無いわけで『それだけで楽しい』なんて、すごく羨ましいなあ、これが子供ってもんなんだろうなあと改めて気付かされました。いつまでもそこらへんを理解してやれる頭のやらかい親でいたいです。